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1927.3.8  地域住民・炭鉱業者などが鉄道建設を要望

       新潟県川獺町・鷲森村・萱島村などの住民、ならびに炭鉱を経営していた村上鉱業会社が川獺町より国鉄羽越本線方面への産出物輸送鉄道

       建設への決起集会を開催した。 

1927.10  河獺鉄道設立

       鉄道省から工事認可を取得したことにあわせて村上興業の子会社とし設立。

1932.10.14 村上中央~川獺間の村上線、村上~荒正信号場~南村上間の貨物線が開業。

       村上中央・東村上(現村上公園)・大将軍・本社前・伊賀萱島・川獺の6駅が開業、旅客営業が村上線で開始された。開業時の電車は100型6両。

       地元客のみならず、古くから湯治場として知られていた川獺町方面への客も利用。

1935.4.1 川獺~朝日間の河獺線(現登山線)開業

       朝日村の要望と朝日炭鉱の産出物輸送を目的としていた。非電化路線であるため蒸気機関車を使用。旅客輸送も同時に開始した。

1940   200型車両登場

       沿線に軍需工場などができ、通勤客が増加したため100型を改良した3扉の通勤用車両として5両が製造された。

1943頃   国鉄左沢線方面への延伸工事が軍部の要請により計画される。大将軍駅営業休止(戦後に大将軍信号場に転向→廃止)

       河鉄も戦時下の時代の流れで路線形態が変わっていった。大将軍駅構内のレールは撤去され鉄くずとして軍部に供出された。

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