1945 終戦。左沢方面への延伸工事中断。
1947 1000型登場
様々な需要に対応すべく、12m級の小型電車を1948年までに10両製造。1950年には貫通扉を設置したマイナーチェンジ車・1030型がさらに5両
製造された。
1950 貨物輸送が減益に転じる。
石炭需要が減少したことなどによる。逆に、市内への通勤客や川獺方面への観光客が増え始めたことにより旅客輸送は増益。
1954.9.1 大鷲の森公園駅・川獺渓谷駅開業
観光需要を見込んだことによる。これにより鷲森温泉の観光客は急増、何もない山中に設置された河獺渓谷駅も開設当時は紅葉狩りの観光客
で大変賑わっていたという。
1957.10.1 列車大増発、2000型投入、急行運転開始
白紙ダイヤ改正により大増発、河鉄初の新性能電車として、当時の地方私鉄としては高水準の設備を誇る2000型が導入され、それに伴い従来
の茶色一色から茶色と薄黄色のツートンカラーへの保有車両の塗装変更を開始。また、初の優等列車として急行の運転を開始した。
1959.3.1 特急の運行を開始、初の特急専用車両2500型登場
観光客向けに特急列車の運転を開始。停車駅は村上中央・大鷲の森公園・川獺の3駅のみで、特急専用車両として2500型が製造された。車体
は2000型と同型だが白い帯が巻かれ、車内はオールクロスシートだった。
1962.10.1 村上中央3代目駅舎完成
戦後急造された簡素な村上中央駅舎は待合室などを備えた立派なものに建て替えられた。
河鉄開業30周年記念事業として朝日地区に河獺峠山麓駅と山頂駅を結ぶロープウェイが建設された。以後、朝日駅・河獺湖付近の観光開発
が活発化、同時期に河鉄も川獺温泉「河鉄ホテル」、奥河獺温泉「かわうそ館」を開業。
1964.1 河獺線に気動車導入
当時の国鉄の新型気動車と同型のキハ58型ディーゼルカーを自社発注、これにより蒸気機関車は廃止され無煙化が実現した。
1968.3.1 青木高校前駅開業
この頃には村上市近郊の宅地開発により人口が急増、高校の生徒数も増加していた。
1970 埜ッ八ニュータウンの分譲開始、埜ッ八駅開業
マンモス団地の完成とともに事業用施設の跡地に4階建ての駅ビルが建造された。駅ビル内にはスーパー「長崎屋」などが出店、ベッドタウンにふ
さわしい駅となった。